~末っ子は長男がお好き~
since 2007.4.22
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ベルギーに行って感じたことや、思ったことがたくさんありすぎて、まだまとまらない、、ので、
ちょっとづつ書こうかと思います。
そのひとつ
ノートル・ダム・デュ・サブロン教会へ行く。
目的は不純で、ステンドグラスを見るために。
教会の入り口を一歩はいると、とてもおだやかで、神聖な空気を感じた。
チャーチオルガンの音は、おそらくCDのループだと思いますが、響きはとても安らかで、
その雰囲気は、人を黙らせる。
こつこつと、小さな足音が響く。
それがとても恥ずかしかった。
ステンドグラスに目を奪われ、気が付くと目の前に、十字架に貼り付けられたキリストの姿があった。
その前で、ただうつむいて泣いている女性がいた。
何かを悔いているのだろうか?救いを求めているのだろうか?
クリスチャンではない私ですが、
少し目をとじて瞑想をすると、とても穏やかな気持ちになった。心の奥を覗かれているようで、涙が出そうになった。
国民の大半がクリスチャンというベルギーの街中には、教会がたくさんあり、時刻と共に鐘の音が響き渡っていて、それは日常であり、誰も気にも留めていない。
そして、街中には、物乞いをしている人もたくさんいて、同じく誰も気にも留めていない。
差し出されたそのカップに、少しばかりのお金を入れることに、何の意味があるのだろうか?
神の下に平等。
救いを求めること(場所)は平等に与えられたとしても、救われるかどうかは分からない。
結局、人の世を作っているのは、人であり、人は知能や理性や感情が備わっていて、計算高い生き物であり
何も平等ではない。
私には、彼(彼女)らを救い出す力などはない。
ちょっとづつ書こうかと思います。
そのひとつ
ノートル・ダム・デュ・サブロン教会へ行く。
目的は不純で、ステンドグラスを見るために。
教会の入り口を一歩はいると、とてもおだやかで、神聖な空気を感じた。
チャーチオルガンの音は、おそらくCDのループだと思いますが、響きはとても安らかで、
その雰囲気は、人を黙らせる。
こつこつと、小さな足音が響く。
それがとても恥ずかしかった。
ステンドグラスに目を奪われ、気が付くと目の前に、十字架に貼り付けられたキリストの姿があった。
その前で、ただうつむいて泣いている女性がいた。
何かを悔いているのだろうか?救いを求めているのだろうか?
クリスチャンではない私ですが、
少し目をとじて瞑想をすると、とても穏やかな気持ちになった。心の奥を覗かれているようで、涙が出そうになった。
国民の大半がクリスチャンというベルギーの街中には、教会がたくさんあり、時刻と共に鐘の音が響き渡っていて、それは日常であり、誰も気にも留めていない。
そして、街中には、物乞いをしている人もたくさんいて、同じく誰も気にも留めていない。
差し出されたそのカップに、少しばかりのお金を入れることに、何の意味があるのだろうか?
神の下に平等。
救いを求めること(場所)は平等に与えられたとしても、救われるかどうかは分からない。
結局、人の世を作っているのは、人であり、人は知能や理性や感情が備わっていて、計算高い生き物であり
何も平等ではない。
私には、彼(彼女)らを救い出す力などはない。
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